ホントにお暇な方限定の、無内容な与太話です。
あたくしめとしますれば、室内楽お庭が終わって東京Q以降数週間吹き荒れた演奏家ラッシュが終わったと感じているのだが、どうも世間ではオケやらソリストやら、まだまだガンガンにいろんなものが続いているようだ。消費し切れずに腐っていくものもいっぱいあるんだろうなぁ。うううん…
てなわけで、昨日から浜離宮でずっとやってるリム嬢のベートーヴェン・ピアノソナタ・チクルスに遅ればせながら参入であります。東京での写真なんてないんで、去る5月末のソウルでのリサイタルでアーツセンターロビーに出たソウル名物のでっかい大段幕。東京のマネージャーさんが、うちでもあれやりたい、とうらやましそうにしてた。
この東京でのベートーヴェン・チクルス、ぶっちゃけ、「賛否両論」のようで、客席の業界関係者の評価も完全に割れてるみたい。
幸いにも小生は「起きてしまったこと」にどうのこうの意見を表明することを生業とする立場ではないので、好き勝手に思っていればいいわけですけど、批評とか評論を商売としている同業者さんにはいろいろ難しい対象だろうなぁ、とは感じるですよ。
というのも、リム嬢の場合は、その音楽がどうだとかいう前に、あの音の出し方そのものに、生理的な拒否反応というか、そもそも聴取が出来ないというか、そんな人もいるであろうことが容易に想像がつく。生理的、というか、人体機能的にあれは受け付けられない、と感じられる可能性もある音の出方だから。恐らくはグレン・グールドなんかが最初に出て来た頃にも、一部の人にそういう感じがあったんではないのかなぁ、と勝手に想像するのでありまする。
お若い方には判らぬ爺の戯言なんだろーけど、この歳のなってくると、「これはもう生理的にダメ、聴き取れない」という音の出方がする演奏家が出てくるんですねぇ。たぶん、弾いている人たちの聴いてるところと、聴く側としてのこちらの聴いているところとが、もの凄く違ってるんだろうなぁ、としか思えない演奏家。
例えばチェロなんかだと、先々週にトリトンで無伴奏リサイタルをやったガブリエル・リプキンなんかがその典型例かしら。彼は明らかに「かつてはノイズや騒音と信じられた響きまでを含めて音楽表現の素材として感じる」というタイプですね。だから、一部の人々とすれば、「もの凄く下手」という言い方にしかならないのだろう。
まあねぇ、シュトックハウゼンの後期のセリーの作り方なんかを考えれば、そういう「聴き方」の広がりが出て来るのも当然なんだけど、やっぱりあれだけ壮大に目の前でやられると、ときについていけないというか、ああああ俺はもう時代に取り残されているなぁ、と感じざるを得ない瞬間もある。
思えば、弦楽四重奏でも、昨年のミュンヘンARDコンクールで賞無しにされ(やくぺん先生的には、昨年のミュンヘンの真の順位は、ファイナリストの最終順位を逆さにした順だと思ってますから)、本人達は怒りまくり、ムッとした審査委員長のポール・グリフィスは勝手に審査員特別賞を出しちゃったツァイーデQなんかにしても、一部の人たちにはまるっきり聴取出来ない部分で音楽やってる、とも言えなくもない。
リム嬢の音も、それらとは方向性は違うけど現象としては似たようなところがあって、「ああ、今鳴っている音の中で、この若い娘さんが聴いてる部分は、俺とは相当に違う場所なんだろうなぁ」と感じざるを得ない瞬間が延々と続く。
そういう音楽を面白いと思うか、こりゃダメだと思うか、ま、人によって様々なわけでありましょう。体調や前頭葉の調子が良ければついていけるけど、疲れてるときには無理、ってこともあるし。
てなわけで、ことによるとやくぺん先生なんぞがあの世に逝っちまったあとの世界では「当時の評論家もジャーナリストも全然判ってなかった」と笑われることになる可能性があるだろうと思いつつも、ぼーっと客席に座っている今日この頃でありましたとさ。
なお、リム嬢に関しましては、勉強熱心な方は「こういうものもある」と一度は聴いておくと良いと思うです。あまりピアノ独奏やらピアノ・ソナタなんてものを聴かない若い方々がどう思うか、そっちを知りたいなぁ。
正直言えば、今やってるリム嬢のチクルス、コンサートホールじゃなくて教会とか200人も入らないくらいのサロンとかで、彼女が間に茶でも飲みつついろいろなんのかんの喋って、客も勝手なことを言って、じゃあ今から弾くわね、って調子で続けるのが理想なんだろうなぁ、と思えてなりません。「客席があって、舞台があって、商品としての演奏家の演説を拝聴する」って現行の演奏会の形とは違うやり方が近未来に作られていく可能性を感じなくもない…というと褒めすぎかな。
なお、リム嬢、演奏会の前に出て来て喋ります。その際、手にiPadを持ってらっしゃいます。すわ、あれをピアノの上に置いて弾くのか、と一瞬思ったが、考えてみたらソリストの皆さんは暗譜が当たり前。あくまでもレクチャーのメモだかネタだかを眺めていらっしゃるようでありました。それにしても、溜池、浜離宮、晴海と、舞台の上が一気にマッキントッシュ社製品で埋まりつつある水無月の東京であった。
さて、与太話はもう止めて、働きましょ。
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